大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和59年(あ)1036号 判決

主文

原判決及び差戻し後の第一審判決を破棄する。

被告人M、同Kをいずれも懲役二月に処する。

被告人両名に対し、この裁判の確定した日から一年間右各刑の執行を猶予する。

原審及び差戻し前の第一審における訴訟費用は、その二分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

一検察官の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例は、いずれも事案を異にして本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

二しかしながら、所論にかんがみ職権をもって調査すると、原判決は、以下に述べる理由により、結局破棄を免れない。

本件公訴事実につき、差戻し後の第一審判決は、公務執行妨害、傷害の事実を認定し、被告人らをいずれも有罪としたが、原判決は、差戻し後の第一審判決には一部事実誤認があるとした上、被告人らの行為と被害者の負傷との間には因果関係が認められず、また、認定可能な被告人らの行為は、いまだ公務執行妨害罪あるいは暴行罪における違法類型としての暴行に当たるものとは認め難いなどとして、犯罪の成立を否定し、同判決を破棄して各被告人を無罪とした。

ところで、原判決の認定によれば、本件における事実関係の大要は、次のとおりである。すなわち、兵庫県は、昭和四四年度から、同和対策事業特別措置法に基づく同和対策事業の一環として、同和地区中小企業振興資金融資制度を設けていたが、昭和五一年度からは、右融資制度の運用方式を改めることとし、昭和五一年六月一日、神戸市生田区下山手通五丁目一番地所在の兵庫県庁別館県民サロン室などにおいて、新運用方式による融資申込みの受付事務を開始したところ、同月三日、被告人Mは、新運用方式の内容の説明を聞くため、また、被告人Kは、右融資制度に基づく融資申込みをするため、それぞれ右県民サロン室に赴き、融資申込みの受付事務の職務に従事していた兵庫県同和局企画調整課企画調整係長N(当時四五年)から、新運用方式に基づく融資手続などの説明を受けているうち、やがてその説明に対する不満をあらわにして、同人に対し、こもごも「ぼけ」「どあほ」などと罵声を浴びせながら一方的に抗議し、同日午後二時ないし三時ころ、被告人Mは、激高した態度で所携のパンフレットを丸めてNの座っていたいすのメモ台部分を数回たたいた上、丸めた右パンフレットを同人の顔面付近に二、三回突きつけ、少なくとも一回その先端をあごに触れさせ、更に、約二回にわたり、同人が座っていたいすのメモ台部分を両手で持って右いすの前脚を床から持ち上げては落とすことによりその身体を揺さぶり、また、被告人Kは、Nがいすのメモ台部分に両手をついて立ち上がりかけたところ、これを阻止するため、その右手首を握ったというのである。

右事実を前提として、原判決における法令の解釈適用について検討すると、原判決が認定した被告人両名の右各行為は、被告人らが罵声を浴びせながら一方的に抗議する過程でなされたものであることをも考慮すれば、いずれも公務執行妨害罪にいう暴行に当たるものというべきであるから、これらが同罪にいう暴行に当たらないとした原判断は刑法九五条一項の解釈適用を誤ったものといわざるを得ない。

したがって、差戻し後の第一審判決を破棄して被告人両名を無罪とした原判決には法令違反があり、これが判決に影響を及ぼし、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することは明らかである。

三よって、刑訴法四一一条一号により、原判決を全部破棄し、なお、本件事案の内容及び従前の訴訟経過等を考慮し、この際、当審において自判するのを相当と認め、同法四一三条但書により直ちに判決すべきところ、原判決において差戻し後の第一審判決の認定事実中一部が否定されているので、同判決をも破棄した上、原判決の認定事実の範囲内で、被告事件について更に次のとおり判決する。

原判決が認定した被告人M、同Kの前記各行為に法律を適用すると、被告人両名の各行為は、それぞれ刑法九五条一項に該当するので、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で各被告人を懲役二月に処し、情状により、被告人両名につき同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から一年間右各刑の執行を猶予し、原審及び差戻し前の第一審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により、その二分の一ずつを各被告人に負担させることとする。なお、各被告人に対する本件公訴事実中その余の点は、前記認定の各公務執行妨害罪と一罪の関係にあるとして起訴されたものであるから、主文において特に無罪の言渡しをしない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

検察官廣畠速登 公判出席

(裁判長裁判官大内恒夫 裁判官角田禮次郎 裁判官佐藤哲郎 裁判官四ツ谷巖)

検察官の上告趣意

第一 序説

一 公訴事実

本件公訴事実は、

被告人両名は、共謀の上、昭和五一年六月三日午後二時すぎころから午後三時ころまでの間、神戸市生田区下山手通五丁目一番地兵庫県庁別館県民サロン室内において、同和対策事業の一環として兵庫県が実施している同和地区中小企業振興資金の融資申込受付の職務に従事していた同県民生部同和局企画調整課企画調整係長Nに対し、「同和対策申告書を提出させることは差別ではないか。」などと口々に怒号しながら、所携のパンフレットで数回同人の顔を突き、同人が着座していた椅子を持ち上げて揺さぶり、更に、右椅子から立ち上がろうとした同人に対し、口々に「どこへ行くんや。」などと怒号しながら、同人の右前腕部をつかんで引っ張り、同人を椅子もろとも転倒させるなどの暴行を加え、もって同人の職務の執行を妨害するとともに、その際、右暴行により、同人に加療約一〇日間を要する右肘部打撲傷の傷害を負わせたものである。

というにある。

二 第一次第一審判決の要旨

神戸地方裁判所第二刑事部は、昭和五五年一〇月二七日、右の公訴事実について、被告人Mが、「パンフレットを丸めてNの喉元に二、三回突きつけ、その先端を同人の顎に触れさせたこと」、「同人が着座していたメモ台付きパイプ椅子のメモ台部分を持って上下に二回くらい揺さぶったこと」及び被告人Kが、「右椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上がりかけたNを引きとめるためメモ台上の同人の右手首を握った」との有形力の行使の事実を認めながら、被告人Mが丸めたパンフレットの先端をNの顎に触れさせた点については、「丸めたパンフレットで意図的に右Nの顎を突いたものではなく、右Nの喉元に突きつけたにすぎないものであり、結果的にそのパンフレットがNの顎に触れたにすぎないものと認定するのが相当である。」とし、また、同被告人が、Nが着座していたメモ台付きパイプ椅子のメモ台部分を持って上下に二回くらい揺さぶった点については、「特に右行為により右Nに肉体的心理的苦痛を与える程のものではなかったと認められる。」とし、更に、被告人Kがメモ台上のNの右手首を握った点については、「立ち上がろうとしたNを引きとめるためメモ台上に置かれていた同人の右腕を握ったことは認められるものの、これを引っ張ったと認めるに足りるものは存しないというべきである。」とし、かつ、「同被告人の右行為と右Nの転倒及び右転倒によって生じた公訴事実記載の傷害との間には因果関係の証明がないものというべきである。」とした上、「被告人両名の前記認定の各行為は、その動機、態様において犯情の軽いものであり、その法益侵害の程度も軽微であって、未だ刑罰法規を適用して処罰の対象とするまでの可罰的違法性を備えていないものと解するのが相当であると認められる。」と判示して、被告人両名に対し無罪の判決を言渡した。

三 第一次第二審判決の要旨

右第一次第一審判決に対し、検察官から、被告人両名の行為を縮小認定した上、その行為は動機、態様において犯情の軽いものであると認定した事実誤認、被告人らの行為は可罰的違法性を備えていないとして、公務執行妨害罪の成立を否定した法令適用の誤り及び目撃者森澤武行の検察官調書の取調べ請求を却下した訴訟手続の法令違反を理由として控訴を申立てたところ、大阪高等裁判所第六刑事部は、昭和五六年一一月二七日、事実誤認及び法令適用の誤りの控訴趣意については判断せず、訴訟手続の法令違反についての控訴趣意を容認して第一次第一審判決を破棄し、本件を神戸地方裁判所に差し戻した。

なお、右第一次第二審判決に対し、被告人両名から上告申立てがあったが、最高裁判所第二小法廷は、昭和五七年六月一七日決定で右上告を棄却した。

四 第二次第一審判決の要旨

本件の差戻しを受けた神戸地方裁判所第一刑事部は、昭和五八年四月八日、前記公訴事実とほぼ同一の事実を認定した上、公務執行妨害、傷害罪の成立を認め、被告人両名をそれぞれ懲役六月に処し、一年間各刑の執行を猶予する旨の判決を言渡した。

右判決理由の要旨は次のとおりである。

1 本件犯行に至る経緯等について

兵庫県は、同和対策事業特別措置法に基づく同和対策事業の一環として、昭和四四年度から同和地区中小企業振興資金融資制度を設け、同県の各同和地区の住民のすべてをその傘下においていた部落解放兵庫県連合会(以下「解放県連」という。)を窓口として、解放県連の推薦者に融資をするといういわゆる窓口一本化方式を採用していたが、同四八年解放県連に代って同県の同和地区の住民の加入希望者をもって構成員とする部落解放同盟兵庫県連合会(以下「解同県連」という。)が組織されてからは、解同県連を窓口としていたところ、従来の同和地区住民のうちには解同県連に加入していない者も生じたため、右融資制度の従前の運用方式では、解同県連の加入者と非加入者との間に取扱上の不公平が生じるおそれがあるとともに、個人を対象とする行政施策の実施に当たっては、行政の主体性の見地から、これを他の団体に委ねることなく県当局が自ら行うべきであるとの考えから、昭和五一年度から、右融資制度における旧運用方式を改め、県当局が自ら融資の申込みの受付けを行う方式にするとの方針を打ち出した。

ところが、解同県連は、新運用方式につき、県当局が部落差別の実態を十分には知っていないことや、融資申込者にその資格立証のため県当局に対して同和対策申告書を提出させるものとされていることは、融資申込者に自らの部落民宣言を要求する結果となり不当であることなどの理由を挙げてこれに反対するとともに、県当局が解同県連との合意なく新運用方式を実施に移すならば、同和行政における従前の協力関係が失われるとの態度を表明した。そのため、県当局は、昭和五一年二、三月ころから、解同県連に対して右変更につき説明を行うとともに、同年五月下旬ころから、県下各地で新運用方式についての説明会を開き、あるいは、新聞、テレビ、ラジオなどによる広報活動を実施するなどした上、同年六月一日から、兵庫県庁別館県民サロン室(以下「県民サロン」という。)及び県下七か所の労使センターで、同年度の本件融資制度による融資申込みの受付事務を開始するに至った。

2 罪となるべき事実

被告人Mは、昭和五一年六月三日午後一時半ころ、本件融資制度の新運用方式の内容の説明を聞くため、同Kは、同日午後一時四〇分ころ、右融資制度に基づく融資申込みをするため、それぞれ県民サロンに赴き、右融資申込受付事務を担当していた兵庫県商工部金融課の職員に対し、新運用方式に基づく融資手続及び融資申込みに前記同和対策申告書の提出が必要とされている理由などの説明を求めたところ、同職員から、折から上司の命により同室内の受付事務の職務に従事していた兵庫県同和局企画調整課企画調整係長N(当時四五年)に説明を受けるよう指示され、被告人Mは同日午後二時すぎころ、同Kはその直後、いずれもNの前に席を移し、同被告人はNに向き合ってメモ台付きパイプ椅子に腰をかけ、被告人Mは同Kの右横にあって立ったまま、あるいは、パイプ椅子に腰をかけ、いずれもNに説明を求める態度を示し、同人から、「二人も一度に説明できないからどちらか一人にして下さい。」と言われたのに対し、こもごも「えゝやないか、一ぺんにして欲しい」と申し向け、このため、同人が被告人両名に対して同時に本件融資制度の概要を説明するとともに、前記申告書の提出理由や融資申込者が融資適格を有することの証明方法などを説明したところ、被告人Mは、「そんな説明ではわからへんやないか」、「この申告書は差別やないか」、「差別とはどういうことや一ぺん言うてみろ」、「そんなことではわからへんやないか」などと言い、また、被告人両名とも「ぼけ」、「どあほ」と怒鳴るなどして、いずれもNの説明に対する不信、不満をあらわにし、かつ、被告人Mにおいて、当日県側から配布されて所持していた「同和地区中小振興資金融資制度のお知らせ」と題するパンフレットを丸めてNの着座していた前記椅子のメモ台を数回叩いた上、これを同人の顔付近に向けて二、三回突き出し、少なくともそのうち一回右の丸めたパンフレットの先端部分を同人の顎付近に触れさせ(第一暴行)、次いで同人の着座している前記椅子のメモ台部分の両端を両手で持った上、右椅子の前脚部分を二回くらい床から若干持ち上げては落とすことにより右椅子に着座している同人の身体を前後に揺さぶる暴行を加える(第二暴行)や、この様子を目撃した被告人Kも、同Mの犯行に加担しようと考え、そのころ被告人両名は暗黙のうちに意思を相通じ、Nに更に暴行を加えて同人の前記職務を妨害する共謀を遂げるに至った。

ところで、Nは、同日午後三時ころに至り、応対する被告人両名の興奮が高まるとともに、同室内における他の県職員と応対客らとの間の論議も激しくなり、同室内が騒然たる様相を呈してきたので、当日の受付事務を継続することは困難であると判断し、同人の右斜め後方にいた同県商工部金融課長野田修に当日の受付事務の中止を進言しようとして、被告人両名に対し、「これ以上あなたたちと話してもわかってもらえん、無駄やないか」と言いつつ、右椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上がりかけ、中腰の姿勢になった途端、被告人Kにおいて、Nに対し、「どこへ行くんや、逃げるんか」と申し向けながら同人の右手首をつかんで手前に引っ張り、同人を右椅子もろとも、Pタイル張りの床に転倒させる暴行を加え(第三暴行)、もって、同人の前記職務の執行を妨害するとともに、その際、右暴行により、同人に加療約一〇日間を要する右肘部打撲傷の傷害を負わせた。

五 原判決の要旨

右第二次第一審判決に対して、弁護人から控訴申立てがあり、大阪高等裁判所第一刑事部は、昭和五九年六月七日、弁護人の控訴趣意のうち事実誤認の主張を認容して、第二次第一審の有罪判決を破棄し、被告人両名の行為につき、第一次第一審判決とほぼ同一の事実を認定し、被告人らの各行為は、未だ公務執行妨害罪あるいは暴行罪における違法類型としての暴行に当たるものとは認め難いとして、被告人両名に対し無罪の判決を言渡した。

右破棄理由の要旨は、次のとおりである。

原判示の事実認定は、第一暴行については、被告人Mが、原判示のパンフレットを丸めて、これをNの顔面付近に二、三回突きつけ、少なくともそのうち一回その先端を同人の顎に触れさせたこと(意図的に右Nの顎を突いたものでなく、同人の喉元に突きつけたにすぎず、結果的に同人の顎に触れたにすぎない。)、第二暴行については、同被告人が、右Nが着座していたメモ台付きパイプ椅子のメモ台部分を両手で持って、右椅子の前脚部分を二回位床から持ち上げて落とすことにより、同人の身体を揺さぶったこと(右Nに肉体的、心理的苦痛を与える程のものではない。)、第三暴行については、右Nが右椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上がりかけたところ、被告人Kが右Nの右手首を握ったこと(右Nの転倒との間に相当因果があるとは認められない。)、右の範囲内でこれを肯認することができるが、第一暴行につき、被告人Mが右パンフレットを右Nの身体に当てようとして突き出したものであり(原判示は右の趣旨であると解される。)、第二暴行につき、被告人Mの行為が右Nに肉体的、心理的影響を与えたものであり(原判示は右の趣旨であると解される。)、第三暴行につき、被告人Kが右Nの右手首を手前に引っ張り、そのため同人を右椅子もろともPタイル張りの床に転倒させた旨の原判示の各事実認定は、これを肯認するに足りない。そうすると、原判決には第一ないし第三暴行につき、右に判示した限度で事実を誤認しているといわざるをえないのであり、被告人Kの第三暴行における行為は傷害罪を構成せず、また、被告人らの本件行為は、前記のように、有形力の行使の態様及び程度が極めて軽微であること並びに原判示の本件に至る経緯に徴すると、未だ公務執行妨害罪あるいは暴行罪における違法類型としての暴行に当たるとは認め難いのであって、結局被告人らに本件各犯罪の成立を認められないことになるので、右誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

六 本件事犯の実態

1 本件に至る経緯

(一) 兵庫県は、昭和四四年に発足した本件融資制度につき、発足当初から、融資対象者の審査、選定等一切の運用を県下同和地区全住民を傘下におく解放県連に委託するいわゆる窓口一本化方式を採用していた。ところが、昭和四八年に解放県連に代って組織された解同県連に委託するようになってからは、これに加入しない同和地区住民を生じて、本件融資制度を利用できないとの苦情が出され、また、解同県連と対立する兵庫県部落解放運動連合会等が組織されるに至って、同和行政の窓口を解同県連が独占するのは不公平であるとの意見や、かかる施策の実施は行政事務の主体である県自らが執行すべきであって、解同県連に委託するのは、行政と部落解放運動とを混同させるもので責任放棄であるとの批判が生じた。そこで、県は、行政の公平と中立の見地から、本件融資制度の適正な運用を図るため、昭和五一年度から窓口一本化方式を改め、県自体が直接その運用に当たることとしたが、実施に当たっては、長期間続いた旧運用方式を改めることになるため、あらかじめ解同県連の幹部と折衝を重ね、昭和五一年五月には、解同県連各支部から要請のある都度、運用方式の変更についての説明を行い、また、サンテレビ、ラジオ関西、神戸新聞等のマスコミを通じて再三広報し、その周知徹底方を図った上、同年六月一日から同月一〇日までの間、県民サロン及び県下七か所の労使センターにおいて、右資金の融資申込受付事務を行うこととして実施に移した(〈証拠〉)。

(二) これに対し、解同県連は、あくまでも、行政窓口の独占を続けようとして、「窓口一本化方式絶対維持」の基本方針のもとに、同年四月ころから、この問題を大きく取り上げ、県の窓口一本化方式の廃止は、共産党の党利党略にのせられたもので、同和行政を破壊し、同時に解同県連の組織力を弱体化し、分裂を図ろうとする最も典型的な敵対行為であり、しかも、新運用方式は、融資申込者にその資格立証のため、部落差別の実態を十分知っていない県当局に対して同和対策申込書を提出させることとしており、このことは融資申込者に自らの部落民宣言を要求する結果となって極めて不当であるなどとし、強力な反対闘争を展開するとの具体的方針を打ち出し(〈証拠〉)、更に、本件直前の同年六月一日付けの解放新聞に、「差別行政、差別企業への徹底糾弾闘争を全組織をあげ展開せよ!」、「兵庫県坂井差別行政による『申告書』制度の導入を糾弾する!」などとの見出しの下に、「部落民の統一と団結の基軸であり、同和行政の原則たる(窓口一本化)を破壊せんとして同和地区中小企業融資金制度の要件として、『申告書』の提出を義務づけるという攻撃は、かの『特殊部落地名総鑑』と軌を一にしているのであり、行政当局が、意識するとせざるとにかかわらず、融資制度を利用して一種の『差別台帳』を作成していくことにつながるものだ、といわねばならない。」、「今こそ、組織の総力をあげ闘いに結集しよう。」との記事を掲載し、解同県連同盟員らに対し、新運用方式に対する強力な反対闘争を呼びかけるとともに、特に新運用方式による手続では、融資申込みの際、過去に自己もしくは家族が県や市町から同和対策事業を受けたことがある者は、その旨の申告を、そうでない者は、同和地区の関係市長、自治会長、関係団体支部長等の紹介を要することになっている点が行政機関に対して部落民宣言することを要求するもので、差別につながり不当であると非難した(〈証拠〉)。

(三) 右のような解同県連の態度と闘争方針及び強力な指示があったことから、これに応じた解同県連同盟員及び同調者は、運用方式の変更に反対する具体的闘争戦術の一環として、新運用方式による受付事務を妨害、阻止する目的で、組織的、計画的に阻止闘争を展開し、六月一日から連日県民サロン及び県下七か所の労使センターにおける融資申込受付会場に多数で押しかけ、受付事務に当たっていた個々の県職員に対し、融資申込みの手続に関する質問、相談に藉口して議論を挑み、抗議、妨害を繰り返したため、六月二日には阪神地区労使センターで受付事務に従事していた県職員が気分が悪くなって入院するという事態さえ発生した(〈証拠〉)。また、県民サロンでも、六月一日午前中、一四、五人、午後七、八人が押しかけ、受付事務担当職員に対して、手続上提出が必要とされる同和対策申告書などについての抗議反対闘争が展開され、「これは差別文書だ。」「これが差別だとわからんのか。」「どあほ」などとの激しい罵声が絶えず飛び交う騒然とした状況を生じ、翌二日も、昼ころ約二〇人が押しかけ、県職員に対し、「差別文書である。」「解同県連と話合いをつけないで見切り発車したのはけしからん。」などと抗議し、前日とほぼ同様の状況が繰り返された。結局県民サロンでは、六月一日、二日の両日にわたり、終始右のような受付事務の妨害、阻止行動が行われ、真しな融資申込みは一件もなかったのである(〈証拠〉)。

2 被告人らの本件犯行とその結果

(一) 本件当日の六月三日、県民サロンには、午前九時二〇分すぎころ、約一〇人が押しかけ、次いで午前一一時ころには二〇人余りが一度に入場して説明を受ける順番を定める番号札を出せと要求し、激しい罵声が飛ぶなど、一般の中小企業者の融資申込みの場合にはみられない騒然とした異様な雰囲気の中で、受付事務が行われた(〈証拠〉)。

(二) 被告人Mは同日午後一時半すぎころ、同Kは同日午後一時四〇分ころ、それぞれ県民サロンに赴いたのであるが(〈証拠〉)、被告人Mが解同県連事業部の兵庫県同和建設業協会事務員、同Kが同事業部の兵庫県同和食肉事業協同組合事務員である(〈証拠〉)ことや、被告人両名のその後の言動等から明らかなとおり、その目的は、いずれも他の解同県連同盟員及びその同調者と軌を一にするものであって、新運用方式について質問し、相談するということに藉口して、解同県連の前記闘争戦術の一環として、新運用方式による申込受付事務を妨害、阻止することにあった。

(三) 被告人両名は、前記のような雰囲気の中で、午後二時すぎころ、上司の指示により融資申込受付事務に従事していたNの前へ相次いで赴き、被告人MはNの左斜め前に立ったまま、同KはNに対面して椅子に座り、両名が同時に応接を求めた。Nは「二人もできません。どちらか一人ずつにして下さい。」と告げたが、被告人両名は、Nの意向を全く無視し、「もうええやないか、いっぺんにしてほしい。」と言い、同時に二人に対して説明するよう要求した(〈証拠〉)。そして、被告人Kは、パンフレット(大阪高裁五八年押二三七号の符一号、県作成の「同和地区中小企業振興資金融資制度のおしらせ」と題する縦約25.7センチメートル、横約一八センチメートルの四枚折りのものと同様)に基づく説明を求め、Nの説明に対し、「その説明ではわからん。」などと文句を言い(〈証拠〉)、被告人Mは、Nの説明の言葉じりをとらえて、「(同和対策事業特別措置法を)勉強しとるんか。いっぺん読んでみい。」と言ってその場で法規集を読ませ(〈証拠〉)、受付事務に関係のない自己の就職の際に差別を受けた話をしたり(〈証拠〉)、あるいは、「差別とはどういうことや。いっぺん言うてみろ。」と要求し、Nが「同和問題を解消することだ。」と答えると、「同和問題を解決するとはどういうことか言うてみろ。」と要求する(〈証拠〉)などし、「ぼけ、どあほ」「わからんやないか。」「あんた同和局職員やろ、同和局の職員のくせにこんなこともわからんのか。」などと一方的に耐え難い侮辱的言辞を浴びせながら、前記パンフレットを丸めてNの座っていたメモ台付きパイプ椅子のメモ台をパンパンと叩き(〈証拠〉)、被告人Kも同様パンフレットを丸めてNの椅子のメモ台に打ちつけ(〈証拠〉)、「アホ」「ダボ」と大声でののしる(〈証拠〉)などし続けた。その当時は、県民サロンに押しかけた解同県連同盟員及びその同調者三、四〇人も、執務中のNを含む約二〇人の県職員に対し、叫んだり、怒鳴るなどして受付事務を妨害し、室内全体が騒然となっていた(〈証拠〉)。

(四) このような状況の中で、被告人Mは、筒状に丸めたパンフレットの先端をNの顔面付近に二、三回突き出し、これに対し、Nは、手で払いのけたり、上体をのけぞることを繰り返し、攻撃を避けようとしたが、そのうち一回は、同人の顎に当たった(〈証拠〉)。次いで、同被告人は、Nが座っていた椅子のメモ台部分を両手で持って右椅子の前脚を二回くらい持ち上げて床上に落とし、そのためNは、体が後ろにガッとのけぞり、ダンと下に突き落とされるという強い衝撃を受け、同人の身体が前後に何回も揺れた(〈証拠〉)。

(五) そのころ、室内中央付近では、県同和局企画調整課副課長森川喜雄が一〇数人の者に取り囲まれて室内がますます騒然となっており、Nは、この状態では事務を続けることは物理的に不可能であると考え、午後三時ころ、県商工部金融課長野田修に受付事務の中止を進言するため、被告人両名に対し、「ちょっと待って下さい。課長に連絡することがありますので。」と断って、椅子のメモ台に手をついて立ち上がろうとするや、被告人Kは「どこへ行くんや。逃げるんか。」と言い、被告人Mも「話聞かんかい。」と言い、被告人Kがメモ台上のNの右手首をつかんで手前に引っ張った。そのためNは、右斜め前にのめった姿勢で椅子もろとも転倒し、右肘を床に打ちつけて加療約一〇日間を要する右肘部打撲傷を負ったのである(〈証拠〉)。

(六) そして、室内全体の喧噪状態が続く中でNの右被害が発生したため、当日の県民サロンにおける融資申込受付事務は続行不能となり、県商工部金融課長野田修が右受付事務の中止を宣した。その後間もなく、被告人両名や解同県連同調者らはいずれも受付事務の続行を求めることもなく、県民サロンを立ち去り、結局県民サロンではこの日も融資申込みは一件もなかった(〈証拠〉)。

七 原判決の問題点

原判決は、被告人らの前記各行為(原判決のいう第一ないし第三暴行の所為)を是認しながら、「有形力の行使の態様及び程度が極めて軽微であること並びに原判示の本件に至る経緯に徴すると、被告人らの各行為は未だ公務執行妨害罪あるいは暴行罪における違法類型としての暴行に当たるものとは認め難い」として公務執行妨害罪の成立を否定し、かつ、被告人Kの第三暴行とNの転倒との間に相当因果関係があるとは認められないとして傷害罪の成立をも否定している。

このうち、原判決が公務執行妨害罪の成立を否定した理由付けについては、必ずしも明確ではないが、構成要件の解釈上、不法な有形力の行使であっても、その態様及び程度が極めて軽微であり、また犯行の経緯のいかんによっては公務執行妨害罪又は暴行罪における暴行に該当せず、本件行為はかかる意味で公務執行妨害罪を構成しないと解しているようである。

しかしながら、原判決が認定する有形力の行使があった事実を前提とすれば、公務執行妨害罪ひいては傷害罪の成立を否定するのは、最高裁判所の判例に反し、かつ、法令の解釈適用を誤るなどの法令違反を犯していることは明らかである。

ところで、原判決は、本件行為を罪とならない程度のごく軽微なものと判断するに当たり、証拠の取捨選択を誤って不当な縮小認定をした上、認定した行為についても、その意味と重大性を過小に評価し、更に背景事情及び行為時の状況を捨象するなどの重大な誤りを犯しており、それがひいては、原判決の判例違反、法令違反を導き出したと考えられるので、判例違反、法令違反の主張を展開するに先立ち、前記六で述べた「本件事犯の実態」に基づいて原判決の問題点を指摘する。

1 本件発生の経緯に関する認識の誤り

原判決は、公務執行妨害罪の成立を否定する理由の一つとして、前述のように本件に至る経緯をも挙げているが、これについては独自の認定をすることなく、第二次第一審判決の認定事実を援用するにとどめているため、それがいかなる根拠で犯罪不成立の理由とされたかは明らかでない。しかしながら、原判決が、本件に至る経緯を犯罪の成立を否定する理由の一つとして挙げていることにかんがみ、その誤りであることを、まずもって明らかにしたい。

本件に至る経緯については、前記六、1において詳述したところであるが、

(一) 兵庫県が新運用方式を実施することとした理由は、同和地区住民の中に本件融資制度を利用できる者と利用できない者とが生じる不公平を是正するためと、県が行政主体としての責任を放棄し、解同県連に運用一切を委託しているという異常事態を是正し、県が自ら運用に当たろうとすることにあるのであって、新運用方式には高い合理性があり、その正当であることは理の当然である。また、その手続についても、あらかじめ解同県連の幹部と折衝を重ねた上、住民に対する説明、広報等を実施し、できる限りの周知徹底方を図っており、その点においても、何ら非難されるところはない。

これに対して解同県連は、新運用方式による融資申込みに伴う申告、紹介が行政機関に対し部落民宣言を要求するものであるとして、新運用方式を非難し、これに反対しているのであるが、右申告、紹介等を要求するのは、融資申込者が融資の対象者として適格か否かを審査するために必要不可欠のものであって、行政の公正を担保するため真にやむを得ない措置であり、しかも県職員である公務員は、職務上知り得た秘密を、在職中はもちろん、退職後といえども漏らしてはならない義務を負っており、この義務は刑罰や懲戒処分により担保されているのであるから、これをもって差別につながり、あるいは、これを助長するとする非難は全く当を得ていない。

(二) 次に、解同県連の動向との関連では、同県連は、その同盟員らに対し、窓口一本化方式廃止に伴う新運用方式を阻止する強力な反対闘争を指示しており、そのため融資申込受付開始日の昭和五一年六月一日から県民サロンを含む県下各地の受付会場において、右同盟員らによる激しい反対闘争が展開されていたこと、また本件犯行当日の被告人らの態度も、Nに対して、当初から真しに新運用方式についての疑問点を質し、理解しようとするものではなく、一方的に非難攻撃を加え、その内容も、聞くに耐えない罵詈雑言を浴びせるなど甚だしく侮辱的なものであったこと、更に右受付開始日から本件犯行日までの三日間県民サロンでは融資申込みが一件もなかったことなどからみれば、被告人らは、解同県連の阻止闘争の一環として、受付事務を妨害阻止する目的で県民サロンへ赴き、意図的に右言動に出て、その過程で本件犯行に至ったことが明白であるのである。

以上を総合すれば、本件は、合理性、正当性の認められる新運用方式に反対するため、解同県連によって主導された不当な阻止闘争の過程において敢行された行為であり、したがって、被告人らの暴行行為が平穏な雰囲気のもとに発生した偶発的な行為とは到底評価できず、本件に至る経緯は、被告人らの行為の違法性ないし悪質性を高める背景事情をなしていることが明らかであるにもかかわらず、これをもって、犯罪不成立の理由の一つとした原判決の認定は誤りといわざるを得ない。

2 不当な縮小認定

原判決は、被告人らの行為についてし意的な判断、評価をし、不当な縮小認定をしている。

(一) まず、第一暴行についてみるに、原判決は、被告人Mが、「パンフレットを丸めて、これをNの顔面付近に二、三回突きつけ、少なくともそのうち一回その先端を同人の顎に触れさせたこと(意図的に右Nの顎を突いたものでなく、同人の喉元に突きつけたにすぎず、結果的に同人の顎に触れたにすぎない。)」を肯認することができ、同被告人が「右パンフレットを右Nの身体に当てようとして突き出した」旨の第二次第一審判決の認定は、肯認するに足りないとしている。

しかしながら、Nや目撃証人の森澤武行、野口貞明の供述によると、被告人Mは、所携の丸めたパンフレットでメモ台をポンポンと叩きながらNを罵倒し、右パンフレットでその左顎の先付近を突き、更に二度三度と突きかかり、Nは手で払いのけたり、体をのけぞるようにして避けていたことが認められるのであり、したがって、被告人Mは右パンフレットがNの顔面付近に突き当たることを当然予想しながらあえて数回にわたって突き出したものであって、もしNが避けていなければその顔面に当たっていたことが明らかであり、原判決は、この点において事実を不当に縮小して認定している。

(二) また、第二暴行についてみるに、原判決は、「同被告人が、右Nが着座していたメモ台付きパイプ椅子のメモ台部分を両手で持って、右椅子の前脚部分を二回位床から持ち上げて落とすことにより、同人の身体を揺さぶったこと(右Nに肉体的、心理的苦痛を与える程のものではない。)」を肯認することができ、同被告人の行為が「右Nに肉体的、心理的影響を与えた」旨の第二次第一審判決の事実認定はこれを肯認するに足りないと判示している。

しかしながら、N及び目撃証人宮田繁生の供述、同人の検察官調書によると、Nは二回にわたり右椅子を持ち上げられたとき、同人の体が後ろヘガッとのけぞり、次いでダンと突き落とされ、その体が前後に何回も揺れていたということであり、Nの受けた衝撃の極めて激しかったことが十分認定できるのであり、同人に肉体的、心理的な苦痛あるいは影響を与えたとは認められないとする原判決は、この点において事実を不当に縮小認定している。

(三) 更に、第三暴行についてみると、原判決は、「右Nが椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上がりかけたところ、被告人Kが右Nの右手首を握ったこと(右Nの転倒との間に相当因果があるとは認められない。)」を肯認することができ、「被告人Kが右Nの右手首を手前に引っ張り、そのため同人を右椅子もろともPタイル張りの床に転倒させた」旨の第二次第一審判決の認定は、これを肯認するに足りないと判示している。

しかしながら、N及び野口の供述、森澤の検察官調書によると、Nが野田金融課長に当日の受付事務の打切りを進言しようと考え、被告人らに「ちょっと待って下さい。課長に連絡することがありますので。」と言って、自分の椅子のメモ台部分に手をつき、それを支えにして立ち上がりかけたところ、被告人Kが「どこへ行くんや、逃げるんか。」と言って、Nの右手首をつかんで引っ張ったため、右斜め前にのめった姿勢になり、右肘から右斜め前の床に椅子もろとも倒れたことが認められ、原判決は、この点において不当な縮小認定をしている。

3 行為の不当な評価

(一) 原判決は、被告人らの各行為について右2で述べたとおり縮小認定しているほか、認定したこれらの各行為についてもその意味あるいは重大性を過小に評価している。

(1) まず第一暴行については、原判決の認定する被告人Mが丸めたパンフレットをNの顔面付近に二、三回突きつけ、そのうち一回先端を同人の顎に触れさせた行為は、現実に一回触れているほど同人の顔面に近接して二、三回突きつけたもので、むしろ加害者側の突く意図のあったことが推認される案件でありながら、あえて突く意思がなかったことを認定するとともに、公務執行妨害罪の暴行が成立するためには、被告人MがことさらNの身体に当てようとして右パンフレットを突く必要があるかのように判示しており、被告人Mの右行為を不当に過小評価している。

(2) また、第二暴行については、原判決の認定する被告人Mが、Nが着座しているパイプ椅子のメモ台部分を両手で持って、右椅子の前脚部分を二回くらい持ち上げて床上に落とすことにより、同人の身体を揺さぶった行為は、真しに職務の執行に携わっていた同人に対して公衆の面前で敢行され、しかもその程度も決して軽微なものではなかったため、同人に強い衝撃を与えたことは明らかであり、肉体的、心理的苦痛又は少なくとも肉体的、心理的影響を与えたことは当然に認められる。現に原判決が認定理由について援用する第一次第一審判決も、「特に右行為により右Nに肉体的、心理的苦痛を与える程のものではなかった」と述べるにとどめ、肉体的、心理的影響がなかったとまでは言っていない。しかるに、原判決は、Nに肉体的、心理的苦痛を与える程のものではないと認定するにとどまらず、何らの理由も付さないで直ちに第二次第一審判決の認定する肉体的、心理的影響を与えたことすら肯認できないとしており、その行為を不当に過小評価している。

(3) 更に、第三暴行について、原判決は、被告人Kがパイプ椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上がろうとしたNの右手首を握ったことを認定しているが、同被告人がどのような意図でNの右手首を握ったかについては特に説示をしていない。しかし、原判決は右認定理由について第一次第一審判決を援用しているところから、この点についても、同判決の椅子から立ち上がろうとしたNを引きとめるためメモ台上に置かれていた同人の右手首を握ったとの認定を採用しているものと推認される。ところで、被告人Kの右所為がNを引きとめる目的でなされたものである以上、同被告人としては、Nを引きとめるため必要な相当の力をこめて同人の右手首を握ったと判断せざるを得ないのであり、このことはそれ自体暴行と評価ができるのみならず、後に詳述するとおり、優にNの転倒、負傷の原因となり得るものである。しかるに、原判決はこの点について何ら検討することなく、被告人Kの右所為とNの転倒、負傷との間の相当因果関係を安易に否定していることからみると、同被告人の右のように握った行為を単にNの右手首に接触した程度とみているものであり、同被告人の加えた力を不当に過小評価している。

(二) しかも、原判決は、右三個の行為を全体的にとらえず互いに分断し、かつ、行為時の状況からも切り離して、個々の行為がごく軽微なものであるとする誤った結論に達している。

すなわち、本件は、他の解同県連同盟員ら多数と共に融資申込受付会場である県民サロンに押しかけ、受付事務に当たっていた県職員に対し、新運用方式を非難攻撃し、会場を騒然たらしめた間にあって、被告人らは、被害者Nが真しに対応しているのに対しその説明に耳を傾けることなく、一方的に罵詈罵倒し、丸めたパンフレットでNの着座している椅子のメモ台を叩き、これに連続した一連の行為として右パンフレットをその顔面に突きつけ、右椅子のメモ台の部分をつかんで持ち上げて落とすなどの暴行を加え、善後策を上司に協議しようとして立ち上がりかけた同人を引きとめようとしてその右手首をつかまえ、同人を転倒させて受傷させ、これが契機となって同日の受付事務は中止のやむなきに至ったものであって、本件はこれらの所為が包括して一個の公務執行妨害罪として問擬されていたのである。

およそ、本件における不法な有形力の行使が悪質であるか否かを判断するに当たっては、行為時の諸状況を総合し、全体的に観察して評価すべきものであり、各所為についても、被害者の身体に対する衝撃の強弱のみにとどまらず、人格の尊厳に対する冒涜の度合をも考慮することが極めて肝要である。してみると、被告人らの各所為は、いわゆる典型的な暴行の形態ではないにせよ、極めて侮辱的挑発的であって、被害者の人格に対する著しい冒涜行為であり、物理的にもその行動の自由を著しく制約する重大なものであり、犯行時の諸状況に照らせば、その悪質なことが一層明白な案件であって、これらをもって極めて軽微なものとした原判決の評価はまことに不当なものといわざるを得ない。

以上のように、原判決は、被告人らの行為を不当に縮小して認定するという事実誤認を犯すにとどまらず、本件発生の経緯を正しく理解せず、かつ、認定された被告人らの行為を互いに分断し、これらの行為の行われた状況を捨象するなどして、それぞれの行為を過小に評価することにより、保護されるべき適法な公務を行っている公務員に対し、極めて侮辱的挑発的になされ、その職務を妨害するに至らせた本件暴行行為を、極めて軽微なものと判断して、公務執行妨害罪の成立を否定しひいては傷害罪をも認めなかった点で重大な判例違反及び法令違反が存するのである。

第二 上告理由

一 判例違反

1 最高裁判所の判例

原判決は、被告人両名の行為、すなわち公務執行妨害罪の暴行に該当することの明らかな各行為を認定しながら、有形力の行使の態様及び程度が極めて軽微であることを主たる理由として同罪の成立を否定しているが、これは、同罪にいう暴行は、直接であると間接であるとを問わず、職務の執行に携わる公務員に対し加えられた一切の不法な攻撃、有形力の行使であって、その行動の自由を阻害し、職務執行の妨害となり得べき性質を有するものであれば足りるとしている次の最高裁判所の判例に反する。

① 最高裁判所昭和二四年(れ)第二、八九八号同二五年一〇月二〇日第二小法廷判決(最刑集四巻一〇号二、一一五頁)は、週刊新聞の発行者が、市役所で執務中の職員と口論し、右手でその顔面を二回殴打した事案につき、「刑法第九五条の罪の暴行脅迫は、これに因り現実に職務執行妨害の結果が発生したことを必要とするものではなく、即ち妨害となるべきものであれば足るのである。本件被告人の行為は右妨害となるべきものであることは、原判示並びに引用証拠によって明らかである」と判示している。

② 最高裁判所昭和三一年(あ)第二、八八二号同三三年九月三〇日第三小法廷判決(最刑集一二巻一三号三、一五一頁)は、被告人甲、乙、丙が、各別の警察官三名に対しそれぞれ後方から一回投石したが、甲の投石は警察官に命中せず耳のあたりをかすめて飛び、乙の投石は警察官の鉄かぶとに当たり、丙の投石は警察官の臀部に当たった事案につき、右①の判例を引用して、「公務執行妨害罪は公務員が職務を執行するに当りこれに対して暴行又は脅迫を加えたときは直ちに成立するものであって、その暴行又は脅迫はこれにより現実に職務執行妨害の結果が発生したことを必要とするものではなく、妨害となるべきものであれば足りうるものである。」とした上、「投石行為はそれが相手に命中した場合は勿論、命中しなかった場合においても本件のような状況の下に行われたときは、暴行であることはいうまでもなく、しかもそれは相手の行動の自由を阻害すべき性質のものであることは経験則上疑を容れないものというべきである。されば本件被告人等の各投石行為はその相手方である前記各巡査の職務執行の妨害となるべき性質のものであり、従って公務執行妨害罪の構成要件たる暴行に該当すること明らかである。そうだとすれば被告人等の各投石行為がたとえ只一回の瞬間的なものであったとしても、かかる投石行為があったときは、前説示のとおり、直ちに公務執行妨害罪の成立があるものといわなければならない。」と判示している。

③ 最高裁判所昭和三五年(あ)第二、八六〇号同三七年一月二三日第三小法廷判決(最刑集一六巻一号一一頁)は、県教職員組合の役員である被告人が、組合員である同僚教諭の組合活動に非協力的な態度に憤慨して同人を難詰し、椅子に座っていた同人の右手首をつかんで引っ張り、同人が椅子もろとも倒れたのを、なおもその手首をつかんだまま学校教室から廊下に連れ出し、更にその手を引っ張って同校資料室に連れ込むなどした事案につき、「刑法九五条にいわゆる暴行とは、公務員の身体に対し直接であると間接であるとを問わず不法な攻撃を加えることをいうのであって、被告人の本件所為が右の暴行に当たることは明らかである。」と判示している。

2 原判決の判断が右判例の判断に反していることについて

(一) 原判決は、被告人Mがパンフレットを丸めて、これをNの顔面付近に数回突きつけ、少なくともそのうち一回はパンフレットの先端を同人の顎に触れさせたこと及びNの着座していたメモ台付きパイプ椅子のメモ台部分を両手で持ち、右椅子の前脚部分を二回くらい床から持ち上げて落とすことにより、同人の身体を揺さぶったこと並びに被告人Kが右椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上がりかけたNの右手首を握ったことの各事実、すなわち不法な有形力の行使に当たることが明らかな三個の行為を認定しながら、その態様、程度が極めて軽微であることを主たる理由として公務執行妨害罪又は暴行罪における暴行に当たらないと判断している。

(二) ところで、右各判例の判断の趣旨を考察するに、まず①の判例は、公務員の身体に対し直接暴行を加えた事案について、その暴行により現実に職務執行妨害の結果が発生したことを必要とするものではなく、妨害となるべきものであれば足りるとしたものであり、また、②の判例は、原判決(破棄された大阪高等裁判所昭和三一年六月二七日第三刑事部判決)が、「刑法第九五条の公務執行妨害罪の要件たる暴行脅迫は、公務執行の妨害となるべきものであることを要するものである(大審院昭和九・四・二四大刑集一三巻五二二頁、最高裁判所昭和二五・一〇・二〇第二小法廷判決、集四巻一〇号二、一一五頁参照)ところ、」「かくの如く(被告人甲、乙、丙の投石行為)ただ一回の瞬間的な暴行に過ぎない程度のものであるなら、……中略……未だ以て公務執行の妨害となるべきものとは思われない。」と判示し、その前提として公務執行妨害罪の暴行には、具体的に当該公務員の公務の執行を阻害する程度の影響を及ぼす態様のものでなければならないとの解釈をとっているのに対し、その判断、解釈を排斥し、公務の妨害となるべき性質のものであるかどうかを抽象的に判断すれば足りるとみて、投石行為が相手の行動の自由を阻害すべき性質のものである以上、その態様、程度のいかんを問わず同罪の暴行に当たるとしたものであり(「最高裁判所判例解説昭和三三年度」六二八頁以下参照。)、更に、③の判例は、刑法第九五条の暴行は、必ずしも直接に公務員の身体に対して加えられる必要はなく、間接的なものであっても、およそ不法な有形力の行使といえる限り、同罪の暴行に当たるとしたものである。

要するに、右各判例は、公務執行妨害罪における暴行は、直接であると間接であるとを問わず、公務員に向けられた一切の不法な有形力の行使をいい、その態様、程度に関係なく、およそ相手の行動の自由を阻害し、職務執行の妨害となり得べき性質を有するものであれば足り、これにより現実に妨害の結果を発生したことを必要としないと解しているのである。

(三) そして、右判例の見解は、以下にみるとおり、大審院以来確立されているというべきである。

すなわち、大審院昭和九年(れ)第二六二号同年四月二四日判決(大刑集一三巻五二二頁)は、県苹果検査員を手拳で殴打した事案につき、「刑法第九十五条第一項ノ罪ノ成立ニハ公務員カ其ノ職務ヲ執行スルニ当リ犯人ニ於テ該事実ヲ知リナカラ之ニ対シ其職務ノ妨害ト為ルヘキ暴行又ハ脅迫ヲ加フルヲ以テ足リ現ニ職務執行妨害ノ結果ヲ生セシメタルト否ト又犯人ニ於テ其結果ノ発生ヲ欲スルト否トハ同罪の成否ニ影響ナシ」と判示し、また、名古屋高等裁判所昭和二七年(う)第七三三号同年九月二四日刑事第三部判決(高刑集五巻一一号一、八五六頁)は、手で警察官の頭部を殴りかかった事案につき、「手を以て人を殴打せんとしたところ、被害者の機敏な動作による避難の為その頭部をかすめたに過ぎない場合においても、もとより相手方の自由に対し不正な影響を与え、その自由行動を阻害する作用を為す以上、この種の行為は公務執行妨害罪の構成要件たる暴行と解し得べきことは論を俟たない。」と判示し、更に、大阪高等裁判所昭和三三年(う)第四五三号同年六月三〇日第三刑事部判決(高刑集一一巻六号三一三頁)は、警察官に対し、陶器製招き猫を振り上げて殴りかかろうとしたが、他人に取り上げられたため殴りつけるに至らなかった事案につき、「刑法第九五条にいわゆる暴行とは、公務員の職務執行に当たり、これに対しその執行を妨害するに足る暴力を用いる行為即ち不法な有形力の行使をいい、それが職務の執行を妨害するに足る性質のものである以上必ずしもその行為の完了又は所期の目的を達すると否とは問わない」と判示しているほか、公務執行妨害罪の暴行と有形力の行使の点で同一と解される暴行罪の暴行について、判例は、人の身体に対する不法な攻撃、有形力の行使であり(大審院大正一一年一月二四日判決・法律新聞一、九五八号二二頁、大審院昭和八年四月一五日判決・大刑集一二巻四二七頁)、その態様も、殴る蹴るなどの典型的なものであることを要せず、手、腕又は着衣をつかんで揺さぶり又は引っ張る行為(東京高裁昭和三九年七月二二日判決・下刑集六巻七・八号八〇三頁、福岡高裁昭和四四年一一月七日判決・判例集不登載)、手で肩を押す行為(前記大審院大正一一年一月二四日判決)、かぶっている巡査の制帽を奪取する行為(東京高裁昭和二六年一〇月二日判決・判決特報二四号一〇二頁)、宣伝用マッチ二個を投げつける行為(高松高裁昭和三四年六月一八日判決・判決速報一五一号二頁)、食塩を頭等に振りかける行為(福岡高裁昭和四六年一〇月一一日判決・刑裁月報三巻一〇号一、三一一頁)、同僚の数歩手前をねらって投石する行為(東京高裁昭和二五年六月一〇日判決・高刑集三巻二号二二二頁)など多種多様な行為を暴行と認めているのであり、また暴行の程度についても重大なものであることを要せず(前記高松高裁昭和三四年六月一八日判決・前記福岡高裁昭和四六年一〇月一一日判決)、その有形力が必ずしも相手の身体に到達接触する必要もなく(前記東京高裁昭和二五年六月一〇日判決・前記高松高裁昭和三四年六月一八日判決)、相手方に受忍すべきいわれのない単に不快嫌悪の情を催させるにすぎないものであっても足りる(前記福岡高裁昭和四六年一〇月一一日判決)としているのである。

以上の判例をあわせて考察すれば、公務執行妨害罪にいう暴行とは、直接であると間接であるとを問わず、公務員に向けられた一切の不法な攻撃、有形力の行使をいい、その態様は、殴る蹴るなどの典型的なものに限らず、また、その程度も重大なものであることを要しないことはもちろん、その有形力が必ずしも相手の身体に到達接触する必要はなく、相手方に受忍すべきいわれのない単に不快嫌悪の情を催させるにすぎないものであってもよく、およそ相手方の行動に不当な影響を与え、その自由を阻害し、職務執行の妨害となり得べき性質を有するものであれば足りると解されるのである。

(四) これを本件についてみると、被告人両名による第一ないし第三暴行の各行為は、原判決も認定しているように、Nに対する不法な有形力の行使に当たることは明らかであり、殴る蹴るなどの典型的な暴行とはいえないにしても、その態様、程度からすれば、Nに対し、強い衝撃を与え又は少なくとも何人が受忍すべきいわれのない威圧感ないし不快嫌悪感を与えるなど同人の行動の自由を阻害し、その職務執行を妨害するに足る行為であることは明らかである。

すなわち、第一暴行のNの顔面付近に丸めたパンフレットを二、三回突きつけ、このうち一回同人の顔面に触れさせた行為は、前記判例の事案のうち有形力が相手に到達接触しなかった場合とほぼ同一の態様、程度のものであり、また、第二暴行のNの椅子を持ち上げて落とし揺さぶった行為及び第三暴行の椅子から立ち上がりかけたNの右手首を握った行為は、着衣又は手、腕などをつかんで引っ張る行為、着衣等をつかんで揺さぶる行為等と同一又は類似の態様のものであり、いずれも相手の身体に対する不当な有形力の行使であることは疑いない。

しかも、右各暴行における行為は、前記のように、帽子を奪取する行為、マッチを投げつける行為、食塩を振りかける行為などやや軽微な有形力の行使に比較すると、その強度、悪質さにおいて決して劣らないものであって、Nに対し、強い衝撃を与え、又は少なくとも受忍すべきいわれのない威圧感ないし不快嫌悪感を与えたことは明らかである。

(五) 右のとおり、公務員による適法な職務の執行は、当然保護されるべきであるとの観点から、公務執行妨害罪の暴行は、公務員に向けられた一切の不法な有形力の行使であって、その態様、程度を問わず、相手方に受忍すべきいわれのない単に不快嫌悪感を与えるものであってもよく、およそ相手方の行動の自由に不当な影響を与えこれを阻害し、職務執行の妨害となり得べき性質を有するものであれば足りるとするのが判例の趣旨であり、これは、大審院以来確立された判例理論である。

しかるに、原判決が、本件のように、適法に公務を執行する公務員に対し、不法な有形力の行使があったことを認定しながら、その態様、程度が極めて軽微であるとして同罪における暴行に当たらないとしたのは、同罪の構成要件を不当に限定解釈し、前記最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであり、それが判決に影響を及ぼすべきこと明白であって、原判決は破棄を免れない。

二 法令違反

1 公務執行妨害罪に関する刑法第九五条第一項の解釈適用の誤り

(一) 原判決は、公務執行妨害罪の成否につき、前記のとおり、被告人らの第一ないし第三暴行における行為は、有形力の行使の態様及び程度が極めて軽微であること並びに原判示の本件に至る経緯に徴すると、被告人らの各行為は未だ公務執行妨害罪における違法類型としての暴行に当たるものとは認め難いと判示しているが、右判決は、刑法第九五条第一項の解釈適用を誤っている。

すなわち、原判決は、前記のとおり、第一暴行については、被告人Mが、パンフレットを丸めて、これをNの顔面付近に二、三回突きつけ、少なくともそのうち一回はその先端を同人の顎に触れさせたこと、第二暴行については、同被告人がNが着座していたメモ台付パイプ椅子のメモ台部分を両手で持って、右椅子の前脚部分を二回くらい床から持ち上げて落とすことにより、同人の身体を揺さぶったこと、第三暴行については、被告人Kが右椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上がりかけたNの右手首を握ったことの各事実を肯認しながら、「有形力の行使の態様及び程度が極めて軽微であること並びに原判示の本件に至る経緯に徴すると、被告人らの各所為は、未だ公務執行妨害罪あるいは暴行罪における違法類型としての暴行に当たるとは認め難い」と判示しているのは、軽微な有形力の行使が本罪の暴行に当たらないとした点でも、また、本件に至る経緯が本罪不成立の一因となるとした点でも刑法第九五条第一項の解釈適用を誤るという法令違反を犯している。

(二) まず、原判決が有形力の行使の態様及び程度の軽微性をもって公務執行妨害罪の成立を否定する理由としている点については、公務執行妨害罪は、公務員によって執行される公務を保護法益とするものであり、同罪における暴行とは公務員に向けられた直接的又は間接的な有形力の行使をいうとするのが、判例通説である。そして、公務執行妨害罪の暴行と暴行罪における暴行は、不法な有形力の行使の点で同一と解されているところ、右両罪の暴行は、前記第二、一に掲記した諸判例で明らかなとおり、人の身体に対する一切の不法な有形力の行使であり、殴る蹴るなどの典型的なものであることを要せず、手、腕又は着衣を引っ張る行為、着衣をつかんで揺さぶる行為等多種多様の行為が認められており、その程度は重大なものであることを要せず、その有形力も必ずしも相手に到達接触する必要もなく、相手方に受忍すべきいわれのない単に不快嫌悪感を催させるにすぎないものであってもよく、およそ公務員の行動の自由に不当な影響を与えこれを阻害し、職務執行の妨害となり得べき性質を有するものである場合には公務執行妨害罪の暴行となると解されているのである。

ひるがえって、原判決が認定する本件被告人両名の行為についてみることにしても、これらの行為をその実態に即して評価すれば、第一暴行の被告人Mが丸めたパンフレットをNの顔面付近に二、三回突きつけこのうち一回同人の顔面に触れさせた行為は、原判決のいうように同被告人が意図的にNの身体に当てようとして突き出したものではなかったとしても、同人に著しい不快感、威圧感を与えたものであり、第二暴行の同被告人がNの着座している椅子のメモ台部分を二回くらい持ち上げて床上に落とした行為は、単なる不快感、威圧感を与えるにとどまらず、その身体に相当な衝撃を与え、肉体的、心理的苦痛又は少なくとも肉体的、心理的影響を与えたことは明らかであり、更に、第三暴行の被告人Kが椅子から立ち上がりかけたNの右手首を握った行為は、直接同人が立ち上がろうとした行為を阻止したものである。

以上のとおりで、第一の暴行は、Nの行動の自由に不当な影響を与えこれを阻害すべき性質のものであり、第二の暴行は、現実に同人の行動の自由を著しく阻害し、第三の暴行は、同人の行動の自由を完全に阻害したものであり、いずれも同人の職務執行を妨害すべき性質を有する行為であることは明らかである。

しかも、本件当時の状況をみるに、前記第一、七、3、(二)で述べたように、被告人両名は、県民サロン内に解同県連同盟員ら多数と共に押しかけて騒然としている状況下において、真しに対応していたNに対し、その説明に耳を傾けることもなく、一方的に罵詈罵倒し、丸めたパンフレットで同人の着座していた椅子のメモ台を叩くなど威迫行為に及び、これに連続した一連の行為として極めて侮辱的、挑発的に各暴行を加えたものであり、これが契機となって当日の融資受付事務が中止のやむなきに至ったのである。被告人らの右各行為にこのような行為時の状況をあわせて全体的に観察すれば、本件犯行は、その態様及び程度において決して軽微なものではないことは、ますます明らかである。

(三) また、原判決が、「本件に至る経緯」をも公務執行妨害罪の成立を否定する理由の一つとしている点については、Nが違法な職務を執行し、あるいは責められるべき不当な言動をとったなどの事情があれば格別、そのような事情が全くない本件において、右経緯を参酌して刑責を否定する理由とするのは、全く理解に苦しむ判断というほかはない。本件において、Nは、県職員として新運用方式による融資申込受付事務という適法な職務に従事していたもので、被告人両名に対しても極めて誠実に対応し、その罵詈雑言にも反発、反抗しておらず、責めらるべき言動等も全くなく、本件発生の経緯を素直にみる限りにおいて、被害者側に違法な職務行為あるいは不当な言動など公務執行妨害罪の成立を否定すべき事情は見出すことができないのである。

かえって、前記第一、七、1で説述したように、被告人両名は、解同県連の新運用方式阻止闘争の一環として融資申込受付事務を阻止する目的で県民サロンに押しかけ、適法な職務に従事し、何ら責めらるべき言動等もないNに対し、一方的に罵詈雑言を浴びせた上、本件犯行に及んだものであり、これらの事情からみれば、本件に至る経緯は、被告人らによる本件犯行の重大性、悪質性を如実に示し、その刑責を加重こそすれ原判決のいうような軽減事由となるものでは決してない。

なお、付言しておくと、原判決が「本件に至る経緯」の認定理由につき援用する第二次第一審判決は、「被告人らの態度は県側の説明を真しに聞きあるいは通常許容される程度の抗議をなすというのではなく、被告人らとしては、新運用方式に反対の立場から県職員に一方的に非難攻撃を浴びせ、その結果受付事務全般の円滑正常な遂行を阻害するもやむを得ない心情にあったものと認めざるを得ないから、被告人らの行為の動機、目的を正当なものとして容認する余地はないものといわねばならない」と述べ、本件の動機、経緯をむしろ被告人の悪質事情と認めているのである。

(四) 以上のとおり、被告人両名の本件行為は、その態様及び程度からみて、当時、適法な職務の執行に携わっていたNに対し、その行動の自由を阻害し、職務執行の妨害となり得べき性質を有する不法な有形力の行使であることは明らかであって、公務執行妨害罪における暴行に当たることに疑問の余地はなく、また本件事犯発生の経緯その他諸般の事情を考慮しても、本罪の成立を否定する事由は全くないのであり、原判決は刑法第九五条第一項の解釈適用を誤ったものである。

2 判決の理由不備

原判決は、第三暴行について、被告人Kがメモ台付きパイプ椅子から立ち上がろうとしたNのメモ台上に置かれていた右手首を握った行為を認定し、しかも、同被告人がNの右手首を握った目的は同人が立ち上がろうとするのを引きとめるためであり、かつ、その手首を握ると同時に同人が倒れて負傷するに至ったとする第一次第一審判決の認定を肯認しながら、同被告人がNの右手首を握っただけで手前に引っ張ってはいなかったことなどを理由として、同被告人の右行為とNの転倒、負傷との間に相当因果関係があるとは認められないと判示し、傷害罪の成立を否定している。

しかしながら、右のような理由によって被告人Kの右所為と傷害の結果発生との間に、相当因果関係が認められないとする原判決の判断は、明らかに経験則に違背し、右認定についての合理的な説明を欠いているものであり、理由不備の違法がある。

すなわち、原判決は、「右Nが椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上がりかけたところ、被告人Kが右Nの右手首を握ったこと(右Nの転倒との間に相当因果があるとは認められない。)」を肯認することができ、「被告人Kが右Nの右手首を手前に引張り、そのため同人を右椅子もろともPタイル張りの床に転倒させた」旨の第二次第一審判決の認定はこれを肯認するに足りないと判示し、またその理由については、「概ね一次一審判決が詳細に説示するところと同一である」として、第一次第一審判決の「被告人Kが右Nの右腕を握った事実と同人の転倒との関係について付言する。押収されているメモ台付きパイプ椅子一台(昭和五二年押第六七号の八)、N証言及び前記鑑定書によれば、Nは両足が若干不自由な身体障害者であること、本件メモ台付きパイプ椅子は折畳みができ、簡単な移動収納ができるメモ用机板つきの講習会用椅子として製作されたものであるが、その安定性に欠陥があること、即ち椅子本体とメモ台との間隔が狭く座者が立ち上がるには極めて窮屈で、体を左前方に移動しつつ立ち上がらないかぎり、椅子が体とともに浮き上がる上、メモ台が右前方に偏して取付けられ、メモ台部分が椅子の前脚より前方にあるため、立ち上がる際にメモ台部分に手を突いて体重をかければそれは重心の不安定を招き、前方へ転倒する危険が生ずることが認められる。特に立ち上がろうとする者が下肢障害者である場合、通常者よりも手にかける力は相対的に重くなると考えられる上、N証言及び被告人両名の当公判廷における供述によれば、被告人らとの議論により右N自身もかなり興奮した状態にあったことが推認できることを考慮すれば、同人が自らバランスを崩して転倒した可能性も十分考えることができる。してみると、メモ台上に両手を置いて立ち上がろうとする座者の右手首を握る行為は、それだけでは座者の転倒を招く原因とはなりえないものであるし、また被告人Kの右行為が、他の諸条件と相まってであっても、ともかくも右Nの転倒の一条件となっているとの証明はないものといわざるをえない。結局被告人Kの前記行為と右Nの転倒及び右転倒によって生じた公訴事実記載の傷害との間には因果関係の証明がないものというべきである。」との認定を援用している。

結局、原判決は、被告人KがNの右手首を握っただけで手前に引っ張っていなかったことを極めて重視し、そのほかNの下肢に障害があること、同人の座っていた椅子が不安定であること、当時同人が興奮していたことから、同人が自らバランスを崩して転倒した可能性のあることもあわせて考慮し、被告人Kの右所為とNの転倒、負傷との間に相当因果関係を認めることはできないとしているもののようである。

しかしながら、原判決の肯認する第一次第一審判決が認定するように、被告人Kが、Nの右手首を握った目的がパイプ椅子のメモ台部分に両手をついて立ち上がりかけた同人を引きとめるためであった以上、同被告人としてはNを引きとめるため必要な相当の力をこめて同人の右手首を握ったものと判断せざるを得ない上、その際同人が椅子から立ち上がろうとしていたというのであるから、被告人Kの右手首を握った行為にNの立ち上がろうとする動作が相乗作用をもたらし、同人の体勢の均衝を著しく損ない、その転倒の結果を生じさせたことは自明の理であるといわねばならない。

以上のような状況のもとにおいて、被告人Kが右所為に出れば、Nの転倒の原因となることは同被告人も含め何人も認識し得べかりしことであって、当然被告人Kの右所為とNの転倒、負傷との間に法律上の因果関係の存在を認定すべきであるにもかかわらず、原判決はかかる観点からの検討を全くすることなく、単に被告人KがNの右手首を握っただけであり、引っ張っていないことをもって相当因果関係を否定する主たる理由としているのである。

もっとも、原判決は、このほか前記のとおり第一次第一審判決を援用することによってNが自ら転倒した原因についての若干の理由説明を付加している。しかし、この点については、まずNの下肢の障害の程度は軽い六級(身体障害者福祉法施行規則別表第五号参照)で歩行には何ら差支えなく、階段もそのまま昇降でき、脊髄手術後一〇数年も経過しているので日常生活にも十分慣れているものであり(〈証拠〉)、右判決がいうようなメモ台に手をついて立ち上がろうとする者が、Nのように下肢障害者である場合は、身体障害のない通常者よりもメモ台についた手にかける力が相対的に重くなると認定すべき証拠は全くなく、かえってNは「軽く手をついて立ち上がりかけたところを引っ張られた。」旨供述していること(〈証拠〉)、また、右パイプ椅子は、若干の不安定性があるとはいえ、一般に広く使用されており、弁護人側申請の楠井健作成の鑑定書等によっても、身体障害のない通常者の場合には容易に転倒しない構造であることが明らかであること(〈証拠〉)、更に、当時Nは被告人らに沈着冷静に応接していて、転倒直前に多少興奮していたとしても、原判決の肯認する第一次第一審判決が認定するほどのものではなかったことなどから、第二次第一審判決が明確に認定しているように、Nが自らバランスを崩して転倒したものとは到底認められないのであり、同人が自ら転倒した可能性があるとの原判決の見解は全く根拠のない憶測にすぎない。

右のとおり、被告人KがNの右手首を握った行為のほかには、Nが自ら転倒する原因ないし条件となるべきものは証拠上全く認められないというほかなく、同人が立ち上がろうとするのを引きとめるのに必要な力をこめてその右手首を握った同被告人の右所為が、Nを転倒、負傷させた直接的かつ決定的な原因であることは、経験則上明らかであるといわねばならない。

結局、原判決が右のような理由で、被告人Kの所為とNの転倒との間の相当因果関係を認定しなかったのは、明らかに経験則に違背し、右認定についての合理的な説明を欠くものであり、原判決には理由不備の違法があるといわざるを得ない。

3 むすび

以上のとおり、原判決には刑法第九五条第一項の解釈適用の誤り及び理由不備の違法があり、これらは判決に影響を及ぼすべき重大な法令違反であって破棄しなければ著しく正義に反するものである。

第三 結語

以上論述したとおり、いずれの点よりするも原判決は到底破棄を免れないものと思料するので、更に適性な裁判を求めるため本件上告に及んだ次第である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例